しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。
イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。
神の戒めを守る人は、神におり、神もまたその人にいます。そして、神がわたしたちのうちにいますことは、神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである。
主のもろもろのあかしを守り 心をつくして主を尋ね求め、
ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。
神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。
わたしはあなたに呼ばわります。 わたしをお救いください。 わたしはあなたのあかしを守ります。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
命令を守る者は災にあわない。知者の心は時と方法をわきまえている。
公正を守る人々、常に正義を行う人はさいわいである。
それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、 わたしの道を守る者はさいわいである。
あなたはさとしを命じて、ねんごろに守らせられます。
律法を守る者は賢い子である、 不品行な者と交わるものは、父をはずかしめる。
これは彼らが主の定めを守り、 そのおきてを行うためである。 主をほめたたえよ。
わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。
父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである。